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とある、ありふれた怪異譚

7月11日
読了時間: 15分

筆者|ふりお  ジャンル|オカルト・ホラー・都市伝説・ちょっと不思議


■ プロローグ ■


 昼休みも終わりに近づいたころの話だ。        

壁際の古い自動販売機は絶えずモーター音を鳴らし、蛍光灯の白い光が床を鈍く照らしている。

 窓の外では秋めいた雲がゆっくりと空を覆いはじめ、遠くを見ると薄い灰色に霞んでいた。

今にも雨が落ちてきそうな、湿り気を帯びた午後だった。

 花厳は紙コップの湯気を眺め、若草は珈琲の缶を手持無沙汰に握り、とりとめのない話をしている。


廊下の向こうから社員たちがわいわいと話しながら通り過ぎていく。

昼休みを終えた人たちは、それぞれの制作室へ吸い込まれてゆき、自動販売機だけが取り残されたように静かだった。

その前を、ひとりの女性社員が通りかかった。


「あっ、お疲れ様です」

 

 女性社員は自動販売機の前で足を止めると、温かいお茶のボタンを押した。

 紙コップが落ちる乾いた音が静かな休憩スペースに響く。


「監督とプロデューサーって、最近よく、そこにある神社にいますよね」

「そこ?」


 花厳が首をかしげる。

 若草は、女性社員へ向き直った。

 自動販売機から紙コップへ液体が注がれる音が響いている。


「そこって、あそこだよね。こしろの裏手に回ったところ」

「そうです、そうです。猫がたむろしてることが多くて、たまに癒やされに行くんです」


 そう言って、彼女は胸の前で両手を合わせ、柔らかく笑った。

 花厳が目を向けると、その指先が土で汚れていた。

 それからすぐに視線を逸らす。

 土は指先だけではない。爪の縁に入り込み、薄く乾いてこびりついていた。庭仕事でもしたかのような汚れだった。

 なぜだろう。


 その汚れだけが、妙に目についた。


「監督? どうかしました?」

「……いや」


 それだけ答える。


「あっ、お話し中にすみませんでした。私、そろそろ戻りますね」

「午後もがんばろーね」

「お疲れ様です」


 女性社員は紙コップを手に取り、軽い足取りで去っていく。

 背中を見送り、姿が見えなくなったころまで、二人はしばらく黙っていた。

 二人とも口を開かないまま、互いに同じ違和感だけが胸の中で膨らんでいく。


 やがて、ほとんど同時に顔を見合わせた。


「「いや、行った事ないよね?」」


 声までぴたりと重なる。


 若草は顎に手を添えた。


「しかも、最近よくときたもんだ」


 若草は困ったような表情で缶珈琲を口に運ぶ。

 さっきまで胸に引っかかっていた違和感を、珈琲と一緒に飲み込むようだった。


 その横顔を見つめながら、花厳はふと思い出したように身を寄せる。

 若草の耳もとに口が来るようにそっとかがんで、ひそひそと告げた。


「若、そろそろ、告白した返事、欲しいんだけど」

「こんなところで言うことじゃない!」


 先日花厳から後生だから、大事にするから付き合ってくれと言われたばかりだ。

 実際若草もまんざらではない。

 2人だけの時、花厳の声が少し低く、甘くなるのが若草の心をとっくに射止めているのだ。


 昼休みの終わりまで、もう少し。

 若草がよそ事を考えていたので、ほんの少々自分を見て欲しかっただけだ。さすがに本気でこの話題を続ける気はない。


「若さっきの話が気になるなら、実際行ってみる?」


 少しの沈黙。


「……いや、やめておこう」


 若草の答えは思いのほか早かった。


「触らぬ神に祟りなしってこと?」

「その通り」


 どちらからともなく会話は途切れた。

 空調の風が、缶の表面についた水滴をゆっくり乾かしていく。


 花厳は窓の向こう、裏手へ続く細い通路へ目を向けた。

 雑草の伸びた土の道と、その先には古い木立が見えるだけで、小さな社が建っていても不思議ではないような気がしてくる。


 けれど、本当にあっただろうか。

 毎日のように見ていた景色なのに、急にそこだけ記憶が曖昧になっていく。


 ぽつり、と花厳がつぶやいた。


「なんで指先、汚れてたんだろ」

「監督、なんか言った?」

「いや、なんとも」

「ならいいけどさ」


 若草は笑って缶を飲み干した。

 空になった缶を握ったまま、窓の外を見る。

 花厳も何も言わない。


 二人とも、同じことを考えていた。

 よくいるという花厳や若草と出会ってしまったら、自分達はどうなってしまうのだろうか、と。


 ついに降ってきた雨を孕んだ風が、ついに窓ガラスをかすかに鳴らした。

 二人はそれ以上、神社の話をしなかった。

 すぐに昼休みは終わり、解散をする。

 ただ、自動販売機の機械音だけが、妙に長く、無人の休憩所に鳴り響いているのだった。





■ 合わせ鏡 ■


 その日の夜。煙草部屋の外では雨が轟轟と窓を叩き、街灯に照らされた雫が窓ガラスに白く流れていた。

 大きな雨音と対比した静かな煙草部屋にいると、まるで建物ごと雨に沈められてしまったような気すらしてくる。

 室内には珈琲と花厳の煙草の残り香が混じっていた。

 煙草を控えている若草だが、この香りが花厳を象徴するようで、好ましく思っている。



「踊り場の鏡の反対側、ちょっと壁にあとがついてるでしょ。 ほんとはあそこにも鏡があったんです」

 

 静けさを破るように唐突に若草が言った。

 花厳は、机の横に椅子を持ってきて暇そうに座っている若草をチラッと見る。


「夜中に怖い話するなんて、知ってるよ、若」


 若草は返事をせず、ただ面白そうに花厳の顔を眺めていた。

 その沈黙だけで、花厳は嫌な予感しかしなかった。


「そうやって夜中に怖い話して、私をこれ以上ビビらせようったってそうはいかないぞ」


 現在時刻は深夜二時。

 煙草部屋の照明は必要最低限しか点いておらず、扉を開けると廊下の向こうは薄暗いだろう。

 もう社員は全員退勤していて、建物の中は二人きりだ。

 日中に怖い話を聞いた花厳が泣き落としてゲットした、レアお守りアイテムが若草だ。

 少しでも一緒に居ることが出来るなら、という狡さがなかったとは言えない。


「今から若は、クリエイティブかつ脳が沸騰するようなおもしろおかしいハッピーな事しか口にしちゃだめだよ」


 若草は花厳の下心を見透かしているように、ふっと口角を上げる。


「はは、脳みそ沸騰はともかく、おもしろくはあると思うよ」

「それなら許可する」

「あ、許可制なんだ」


 んん、と軽く咳払いをすると改めて語り始める。


「で、踊り場の鏡の反対側のはなしなんだけど。あ、手は止めなくていいですよ。流れるように描いていてください」


 若草は席を立ち、後ろに回り込むと、花厳の頭を両手で挟んで机の方に向けさせた。耳元に落ちる低い声、首筋をすべる指の微かな熱。

 若草の珈琲と普段は密着しないと感じないフレグランスが混ざった男の匂いに、花厳の鼓動が跳ねる。


「わ、わかってるよ!」

「それならよかろう」


 でね、と若草が花厳の髪の毛を名残惜しげにすくい、手を離した。


「つまり、合わせ鏡だったんだよ、あの踊り場」

「フーン。って、エッ。合わせ鏡ってさぁ…」

「まあそう、実用的な場面もありつつ、不可思議な話も聞くよね」


 曰く。


「夜中の二時から三時の間、鏡の中だけが昼になって、向こうの社員が普通に仕事してるらしいんです」

「昼なんだ」

「でも夜中に見える、鏡の向こうの昼の世界ではひびが入っていて……俺達のほうの鏡にはヒビなんてはいってなくて、向こう側だけらしいんだ。

 鏡の中の誰かが、欠片を持ち去っていくのが見えたんだとか」


 花厳はふと筆を止めて若草を見た。

 持ち去る、というのも不穏なワードだ。

 若草は、さらに続ける。


「鏡の中の人がこっちに向かって髪の毛をちょいと直す人もいたりして、何の変哲もない日常なんだそうな。

 ただ、落ちた破片をみんなでこぞって持ち去っていく」


 花厳は鏡の破片の行方が気になった。


「持ち去るの?」

「うん」

「掃除じゃなく?」

「持って帰る」


 若草はいつも通り笑って言った。


「昼間は普通なんだけど、夜中だけ向こうが昼になる。つまり、鏡の中の人たちは、こっちを"夜の世界"って呼んでるんじゃないかって話」


 煙草部屋の、花厳からよく見えるところには古い姿見が壁へ立て掛けられている。

 そこに映るのは蛍光灯の白い光、細かく揺れる窓を伝う雨粒、座る花厳、そして立っている若草。


「ふふ」


 若草が笑った。

 花厳の視線が、不思議と吸い寄せられるように鏡へ向く。

 その時だった。


 鏡の中の若草だけが、ほんの少し遅れて笑った。


 たまらず立って、背後にいた若草を抱き寄せる。

 腕の中のぬくもりに花厳の強張っていた体から力が抜ける。

 もちろん、その間、鏡から目線を逸らしている。

 腕のなかの若草は突然の抱擁に戸惑い、体をこわばらせていた。


「どうかした?あと、俺まだ返事返してないんだけど!」

 花厳は腕のなかの、耳が赤くなった若草に嬉しさがこみ上げてきた。 

「いいじゃん。若だって私のこと好きじゃん」

「認めるよ」


 だれもいないとわかっているからこそ出来る抱擁に溺れるように両想いになったばかりの恋人を思う存分抱きしめるのであった。

 花厳は、自分の鼻先にある若草の頭皮の匂いを存分に嗅ぐ。


「ちょっと監督…」

「もうちょっとだけ」


 二人の夜は、雨に閉じ込められたみたいに甘く、濃密であった。

 花厳は沸き立つ恋情の奥底に恐怖を押し込め、考えないように蓋をする。

 窓を打つ雨だけが、二人の気が済むまで絶えることなく降り続いていた。




■ 靄 ■


 スタジオこしろでは、今日も社員が締切に追われていた。

 紙にペンが走る音、プリンターが紙を吐き出す音、どこかの部屋から聞こえる笑い声。

 それらが階下で混ざり合い、煙草部屋だけが別の時間のように静かだった。


 窓の外では昨日の雨が嘘のように雲が流れ、陽射しはガラス越しに柔らかく床を照らしていた。

 そんな何気ない午後だったからこそ、花厳のひと言は場違いだった。


「ここのところ、眼鏡を外すとそこかしこに靄がかかって見えるようになったんだよ」

 煙草部屋にいるのはいつものメンツ、花厳と若草だ。


 花厳がペンを止めずにそう言った。

 二人部屋で珈琲を淹れていた若草は、「視力落ちたんじゃないの」と軽く返す。


「それなら眼鏡を掛けても靄は消えないでしょ」

「……そうか」

「眼鏡を掛けると普通なんだ。でも外すと、人のいない廊下とか階段とか、丁度人の頭のあたりだけ白く霞む」


 花厳はそう言って眼鏡を外した。

 無表情でいるとすこしだけ鋭さを感じる目元は、裸眼になるだけで少し頼りなく見えた。

 目が合うと照れ臭そうに笑うその表情は、年齢よりずっと幼く見えた。


 (これは反則だろ)


 心の中だけで呟く。

 その素顔を自分だけが見ていたいと思ってしまう。

 若草はとりたてて何でもないように話しかけた。


「病院は?」

「行った。異常なし」

「それならよかったけど」


 花厳は続けた。

 若草は花厳のデスクにひとつ、珈琲を置いた。


「近づくと靄はないんだよ」

「へえ」

「でも離れると、またある」

「写真は?」

「写らない」


 若草は少し考えてから笑う。


「便利だね。眼鏡をかけた時だけ見えなくなるのか」

「全然便利じゃない。正直この年になってくると病気とかのほうが怖く感じるな」

「この年になるとね…」

 若草は苦笑した。

 その話はそれだけで終わり、あとは仕事に没頭するのみだ。



 その夜、相も変わらず残業をして作業を終えた二人は廊下を歩く。

 突然花厳が声を上げる。


「あっ」


 階段の踊り場。

 いつも通りある姿見の前を通り過ぎたところ、眼鏡の縁の外に、靄が見えた。

 慌てて眼鏡をはずす。

 昔、合わせ鏡があった壁の前だと聞いたあの場所に、ゆっくり揺れている。


「若」

「ん?」

「いる」

「何が?」

「靄だよ靄!」


花厳は慌てて若草の眼鏡を奪った。


「え!?ちょっと監督…何も見えない」


若草は動揺したが、突拍子もないことをする花厳には誰よりもなれていた。

何も見えないので花厳の腕に手をかけ、憮然としながら呟いた。

とり返した眼鏡を掛け直す。

時を同じくして、花厳も眼鏡をかけた。


「監督まだ見える?」


もう一度チラリと眼鏡を半分はずすと、確かに靄は消えていた。


「おお、いないかも」


 花厳は少し安心するが、若草がぽつりと、「あのさ……」と呟く。

 花厳は呆然と立ち尽くしたままの若草を振り返る。


「なに?」

「今、本当は一瞬だけ見えた」

「え?」

「あの靄」


「……眼鏡掛けたのに?」

「いや……鏡に」


 二人は同時に勢いよく踊り場の鏡を見る。

 消灯済みの廊下の鏡には、緑色に光る非常灯に照らされた花厳と若草が映るばかりだ。

 花厳がもう一度眼鏡を外した。

 靄は、靄でも煙でもなかった。

 湯気でもない。

 白く濁った塊が床をネトネトと粘つくように這っている。

 大きさはこぶし大。

 思わず花厳の頭の中に浮かんだのは、

 

 「心臓…」


 粘着質に動いていて、這った床が濡れて見えた。


 花厳は反射的に眼鏡を掛け直す。

 靄は消える。


「帰ろう」


 若草はそれだけ言った。

 珍しく理由は説明しなかった。

 足早に、無言で。


 花厳も同感であった。

 あれが何であれ、関わりたくはなかった。

 二人とも自然と歩幅が速くなる。

 背中を振り返る勇気はどちらにもない。

 残業した社員用の非常扉を開けた瞬間、夜風が頬を撫でる。

 外気の冷たさにようやく現実へ戻った気がした。


 翌日のこと。

 朝日が窓から差し込み、誰もいない踊り場を日の光に染めていた。

 清掃員もまだ来ていない。

 静まり返った建物で動いているのは空調や自動販売機などの機械だけだった。

 その静けさの中を、白い靄だけがゆっくりと床を這っていた。

 向かう先はどうやら鏡のようだ。


 その日、欠勤した社員が多かったことは後から気が付く事になる。




■ 終わりのとき ■


 昼休みも終わりに近づいたころ、こしろの自動販売機エリアには、若草が缶珈琲を開ける音と空調の低い唸りだけが流れていた。

 花厳は紙コップの湯気を眺め、若草は缶を指先で転がしながら、とりとめのない話をしている。


 先ほど話しかけてきた女性社員の背中を見送ると、花厳が煙草に火をつけた。

 ライターの火が小さく揺れ、紫煙がゆっくり天井へ溶けていく。


「最近、なんだか不思議なことが多いよね、若」

「うーん」


 どこか遠くで昼休みが終わった社員たちの声が聞こえる。

 昼休みが終われば、また誰もが締切へ向かって走り出す。そんな、ごく普通の一日だった。


 ──ただ一つ、踊り場の鏡だけを除けば。


 スタジオこしろの、階段の踊り場にある鏡に曰くがついている。そういう話だ。

 鏡は無残にも、左下の4分の1程度がひび割れて剥がれてしまってる。

 連日のことだが、今日もまた、鏡の破片がそこそこ落ちている。

 曰く、スタジオこしろの夜の姿が映るようになったのだという。


 剥がれた跡には黒い粘着テープだけがむき出しになり、

 誰かが応急処置をしたまま忘れてしまったような、不格好な姿をさらしていた。


「で、日中、ふとしたときに、鏡の向こうの深夜のこしろが映るんだって。

そのときに好きな人が映ったら、鏡の落ちた破片を地面に埋めるんだよ。そうすると両想いになるとか」


若草が肩をすくめる。


「ははあ、なるほど」


 話ながら、ふと花厳は先ほどの女性社員を思い出した。

 笑顔で手を合わせた、その指先だけが土で汚れていた。

 若草がやれやれと手に腰をあてる。


「でもそれって、鏡に映ってる、夜のこしろのほうの人と結ばれちゃうってことにならない?」

「そうかもしれないね」


「厄介なのは破損されてるわけではなく勝手にヒビが入って崩れていく点だな」

「あ、これわざと壊してるんじゃないの?」

「監視カメラ設置したけどパキパキっていって勝手に落ちんの」

「ひえぇー」


 会社の裏手。

 木々に隠れているが、踊り場の窓から見たら小さな社の屋根が目にはいるだろう。


「神社、行っちゃう?」


 花厳が何気なく尋ねる。

 若草は小さく笑った。


「明日の昼休みにでも」

「猫、いるかな」

「いるよ、きっと」


 その返事は、今の今まで怖い話をしていたとは思えないほど穏やかだった。

 昼間の神社には猫がいて、おだやかでただ静かなだけなのだろう。


 二人は笑いながら煙草部屋へ向かうため階段を昇って行く。

 足音は一定の間隔でコンクリートの階段に吸い込まれ、やがて踊り場を通り過ぎる。

 話し声は遠ざかり、階段には再び静けさだけが残った。


 自動販売機の低い音。

 窓の外で揺れる木々と草。

 非常灯の緑。

 誰もいない踊り場。


 そのときであった。

 鏡の端が、水面のようにほんのわずか波打った。

 昼の陽射しが差し込んでいるはずなのに、鏡の中だけは夕暮れの色をしている。

 ドス黒さを感じるほど赤く沈む空。

 黒く剥がれ落ちた部分は、相変わらず何も映さない。

 けれど、まだ壁に張り付いている鏡がピシっと鳴り、ヒビが入る様を見ているものは誰もいなかった。




■ エピローグ ■


 その神社はスタジオこしろの裏手にあり、鳥居も苔むしているのでぱっと見は目立たない。

 細い獣道のような土の参道には落ち葉が積もり、風が吹くたび木々がゆっくりと揺れる。

 境内は神社らしく、喧騒が嘘のように静かだった。


 ただ、縁結びの界隈では割れた鏡を納める風習が残っている神社だ。

 そして沢山の猫がいるということも該当界隈では有名…らしい。


 昼休み、休憩デートと称して猫を撫でる花厳と、それを眺める若草。

 秋の日差しを浴びた茶色の大きな猫は喉を鳴らしながら目を細め、若草の足元では、黒猫が気まぐれに尻尾を揺らしていた。

 平和そのものだった。  


 もちろん野外なので恋人に見えないように、花厳と若草は適切な距離を保っている。


 そこへ女性社員が通りかかった。


「お疲れ様です!」


 女性はお賽銭を入れるとお辞儀をし、猫の写真を撮り始めた。


「監督とプロデューサー、最近よくこしろの自販機前にいますよね」


 二人は顔を見合わせる。


「「え?」」


「いや、いないよ」

「あら、じゃあ見間違いかしら……。すみません~!」

「いいよいいよ、気を付けて帰ってね~」

「はーい!!」


 女性社員は軽く手を振りながら去っていった。

 その背中を見送って花厳がぽそりと言った。


「若ぁ、ドッペルゲンガーってやつだったらどうしよう……」

「そんなものいないから安心してくださいよ、監督」


 若草が笑う。

 秋風が枝を揺らし、社の鈴が誰も触れていないのに、小さくカロンと鳴った。


「見つかったこと、ないから」


 木漏れ日が二人の足元をゆっくり流れていく。


 腕を組んで立つ若草の指先には、乾いた土が爪の隙間まで入り込んでいた。

 まるで、ついさっき何かを埋めてきたように。


 それに花厳が気付くことは、なかった。

 猫だけが、事実を知っているかのように、じっと若草の手元を見つめていた。

 
 
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